親鸞の造悪論

  • 時間

    81
  • 音質

    東洋大学白山祭シンポジウム
    「現代日本の信」の第1部で
    「親鸞復興」という原題。
    音源は主催者提供だが、
    スピーカーから遠い客席から録音。
    反響音などで聞きづらい部分あり。

  • 講演日:1995年11月19日
    主催:東洋大学二部印度哲学科学生/東洋大学全学学園祭実行委員会
    場所:東洋大学白山キャンパス
    収載書誌:春秋社『宗教の最終のすがた』(1996年)




オウム・サリン事件で僕なりに
いろんなことを考えました。
親鸞が「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と
いっているのは一種の逆説で、
逆説のほうが通りやすいといいますか、
持続しやすいということがあって、
どんどん突き進んでいったというふうに
僕は考えてきていました。
ところが、親鸞はもしかすると、
いまのオウム・サリン事件みたいな問題に現実に直面して、
これを肯定していいんだろうか、よくないんだろうか、
と本気になって考えさせられたあげくに、
「造悪」、悪を進んで造る「極悪深重の輩」を
自分の「善悪」観のなかに包括できるという確信を
持てるようになるまで考え抜いて、
それで「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と
いうことをいったんだ、と僕は考えてみました。